パンを切る(中編)

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 話は前後するが、最近週に一度のペースで通うおいしいパン屋さん(かいじゅう屋)がある。
 そこの食パンを買う時に見るともなく見ていると、グリップがオレンジ色のパン切り包丁を使っていた。ちょうどパン切り包丁を新しく買おうと思っていたところなので、「それはどこのパン切り包丁ですか?」と奥さんに尋ねたら、わざわざ奥に居る旦那さんに聞いてくれて、「Wengerだそうです」と教えてくれた。

 刃渡りも結構あって、まさにプロが仕事に使うくらいの立派さなのだが、確かWengerはVictorinoxに吸収されたはずなので、もう今から新品を手に入れるのは難しいだろう。
 この頃になると、自分の中で候補に残っているパン切り包丁はVictorinoxとGüdeだけになっていたのだが、突然すい星のように現れたWengerは、そういう理由で流れ星のようにあえなく消えてしまった。

 さて、最終的に残った二つのブランドだが、どちらも非常に高価だ。ただ、値段でいえば貝印の「旬」も十分これらに匹敵するのだが、ここでは切る対象が「パン」ということなので、何千年もあらゆるパンを切り続け、食べ続けてきた人たちが作る道具を尊重したい。

 最後まで悩んだのは、安価な包丁を気軽に使ってどんどん使い捨てていくか、高価な包丁を大切に使ってできるだけ長く切れ味を維持するかという問題だ。例えばGüdeを1本買う予算でIKEAの包丁なら10本買えるわけだが、それを単純に比較するのはナンセンスだ。つまり、こういったことはあくまでも個々人の考え方次第であって、どちらが正しいとは決して言えない事柄だからだ。

 ただ、このようなことを考える際に、ひとつのヒントになりそうな事実を貝印の人から先日教わった。
 すなわち、「様々なパン切り包丁が市場に出回っていますが、新品の場合はどの包丁も同じようによく切れます。但し、その切れ味がいつまで長く続くかについては価格が大きく影響してきます。つまり、包丁の値段というのは新品時の切れ味ではなく、切れ味の持続性に違いが出てくるということです」。

 なるほど、そういうことなのか。と感心してはみたものの、上記のようにGüde1本とIKEA10本のコストがほぼ同じでも、切れ味の落ちたIKEAをどんどん交換していって最後の10本目を使い切る時期と、Güde1本の切れ味が落ちる時期が判らなければ厳密な比較はできない。でも、自分でそんな実験はやりたくないし、あまりに面倒すぎる。

 そこでコストの比較地獄から一旦離れて、包丁という道具に宿る「持つ歓び、使う快感」という視点で考えてみると、これはもう初めから勝負はついている。
 片や標準的な厚みのブレードに樹脂成型のグリップ、片や剛性感溢れる肉厚のブレードに樹齢100~200年のオリーブでできたグリップとくれば、たとえどんなに偏屈な人物でも前者を支持することには躊躇するはずだ。

 但し、こういった人間の趣味・嗜好といった分野、いわゆる感覚的な要素はうまく数値化することができないので、大げさに言えばそれを選ぶ人間の人生観や価値観によって最終的に決めざるを得ない。
 その結果、私はGüdeを注文することにした。
 数あるパン切り包丁の中でも、多くの人がこの包丁を賛美する理由を自分自身で確かめてみたいのと、長い歴史と熟練によって練り上げられた良い道具には、ある種の「凄み」が宿るという自分なりの経験則がその理由だ。

プロフィール

ボートマン

Author:ボートマン
Intense Tracer T275c, Cervélo RS, Scapin, SONY α7RII, FUJI X-E4, Leica Summaron f3.5/35mm, Leitz Elmar 5cm f3.5, CONTAX G 21/28/45/90mm and PCX, BMW E46 325i M-Sport, VW GOLF6 Cabriolet

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